
カンボジアから帰国した日の夜が明ける頃、訪問診療をしていた近所のクリスチャンのお看取りをしました。静かな朝、介護を頑張った奥さんと共に祈り、葬儀で兄弟姉妹と共に故人を忍びました。そして誰もがこのように大事にされるべきなのに…と哀しみが押し寄せてきました。
■カンボジア訪問のきっかけ
私と主人は、カンボジア唯一の国立医学大学・University of Health Sciences(健康科学大学、以下UHS) で二日間午後に、神経診察のハンズオン(実技的な指導)と、神経診察の意義や問診についての講義を行いました。UHSは1946年に医学士官学校として設立され、1953年にカンボジア王立医学学校となったもののポル・ポト政権下で大学は放棄されました。1980年1月に活動を再開し、1997年に健康科学大学となり、カルメット病院などの提携病院と連携して教育を実施しています。そのUHSへOMFが定期的に講師を派遣するという提携を結んでいると、今村先生から初めてお聞きしました。かねてより、今村ご夫妻の働きの場を見せていただきたいと思っていましたが、決して遊びで行ってはいけない気もしました。そこで今回、勇気を出して「私も行っていいでしょうか…」とUHSでの講義をコーディネートしていただきました。非常に得難い貴重な体験をしました。たくさんの方に祈っていただき、また主人と教会の姉妹方はスライドと講義の準備を手伝ってくれました。留守中は両親と義母が子どもたちの面倒を見てくれました。
■UHSでの講義
1月29、30日午後からのハンズオンには、多数の神経内科講師、できたばかりの神経内科研修医コースの第一回生たち、研修医が参加してくださいました。初め、時間になっても誰も来ず、どきどきはらはら。しかし違う場所に集まってくれていたことがわかりました。プリントを配り、神経診察の復習をし、主人が模擬患者をして私が神経診察をして見せました。20年間神経内科をしているDr Ros Sina先生(私と同年代でしょうか)にも来ていただき、症例についてコメントをいただきました。意外と神経診察ができていない講師がいて、個人の技能の差が大きいのかもしれないと思いました。
1月30日午前にカルメット病院の病棟に招いていただき、結核性脊髄症、リング状造影増強効果を伴う片側脳浮腫、左第三、四脳神経麻痺の症例の呈示があり、意見を交換しました。脳や神経は直接触れたり見たりすることができない臓器です。限られた情報からどのように診断をつけるか、彼らも日本と同じような症例で悩んでいました。日本には少ない感染症(特に結核)や、腫瘍をメインに考え、多発性硬化症などの寒冷地に多いといわれる自己免疫疾患は鑑別の上位に上がらないと話し合いました。最近は髄膜・脳炎などの感染症は、原因菌10種類以上をたった1回1時間のPCR検査で調べることができます。しかし、旧来の一つ一つの原因菌に当たる方法にまだ頼らなければならず、時間と労力がかかります。私にも聞いてくれるなんて、相談する人も少ないのかもしれません。
1月30日午前にはさらに、デング熱になってしまった香港人宣教師のお見舞いに行く機会もあり、デング熱の皮疹(全身に広がる赤い斑点や丘疹、 皮膚の血管から出血したような小さな点、 赤みの中で、正常な皮膚が白く点在する)の本物を初めて見せていただきました。

■ポル・ポト政権下の虐殺について
最終日の午前中、チュンエクのキリング・フィールド(カンボジア全土に300以上ある、ポル・ポト政権による大虐殺が行われた刑場跡の一つ)をめぐりました。1976~79年当時、昔は中国式墓所だったところを使い、大きな音楽で叫び声をかきけしていたとのこと。人口800万人のうち最大300万人が各地のこうした場所で殺されました。カンボジア人なりのお弔いの気持ちですが骸骨がたくさん並べられ、十分生々しく、赤ちゃんの虐殺の様子を読み、その木を見るだけでふらふらしてしまいました。午後からは、かつて高校の建物であったトゥールスレン虐殺博物館(通称S21)に行きました。1977~79年に1万8千人が拷問、虐殺された場所です。敵を殺さず取りこぼすよりも無実の人もまとめて殺すほうが良いという考えを持つ猜疑心の強いポル・ポトのもとに人々を捕らえたとのこと。1978年は私たち夫婦が生まれた年です。こんなことが行われていたなんて…とても暑いはずなのにうす寒く気持ち悪くなってしまいました。
講義で出会った一人ひとりの研修医とドクターの顔が思い浮かびます。お一人おひとりが続けて研鑽に励み、カンボジアの困っている方たちを助けることができますようにとの祈りに、カンボジアに行く前以上に熱が入ります。一方で、自国にこんなことが起こっていたというトラウマを抱えながら生きるとしたら、自分だったらどうだろうか。自分の国に誇りをもって生きていけるだろうか。自分の家族、親世代がどう傷を受け、人を傷つけてきたのだろうか。受けた傷の中で本当に人を愛せるだろうか、と考えさせられました。
■日本に帰国して
茫然として帰国後、外来と日々の生活に取り組み、日曜日教会に戻り、賛美を歌いました。「神の義と愛により 救いの道を示し与えた 主イエスの十字架」(『神の義と愛により』作詞・作曲:長沢崇史)。義を示し、しかし傷ついても愛と救いの道を示してくださったこの神様を、カンボジア、東アジアにご紹介するため今村ご夫妻はじめ宣教に関わる方々が現地での生活を続けているのです。多くの犠牲があります。
すでに恵まれた環境で生きている私にも、持たない人たちの友となって見舞い、食事や着物を持っていく責任があると、ヤギと羊のたとえで示されています。私に繰り返しこのたとえを教え、み言葉と祈りにより訓練してくださったのは、OMF宣教師だったアン・フリーゼン先生と、ネパールにすべてを投げうって移り住んだ両親、責任ある態度で家族と兄弟姉妹を助けている主人です。
私の住んでいる山形の田舎は、日本のクリスチャン人口1%にはるかに満たないいわゆる未伝地です。村山市以北には100㎞の活動教会のない土地が秋田県南部まで広がっています。来年度からは県内の専任奉仕者がさらにいなくなる予定です。この地でクリスチャン親族経営のクリニックを運営し、隣の運動施設・訪問介護事業所「ベテスダの家」、高齢者アパート「まなハウス」とともに地域に奉仕し、神様のすばらしさを証ししていく。5人の子どもたちをキリストの弟子として訓練していく。病気の親族を支えていく。そういった責任が第一義として私たちには与えられています。しかし、医療アドバイザーとしてOMFに関われることも恵みです。これからもさまざまな形で世界宣教に関わっていくことを許されたいと願っています。(文責 髙橋賛美)
【お祈りください】
■UHS(健康科学大学)への協力がカンボジアの方たちの助けになりよい宣教となりますように
■今村ご夫妻はじめカンボジアで働かれる宣教チームの健康と知恵のために
■私たちの地域(山形県)での伝道に家族・兄弟姉妹が協力して取り組めるように



