祈りの先に見える人… ーカンボジア 今村ひとみー
いつもお祈りに覚えていただき心から感謝申し上げます。宣教師の働きは、背後の祈りの積み重ねが無ければ進まないことを身にしみて感じています。
祈っていただいているカンボジア人について、私が感じていることをお分かちし、祈りの助けになればと思います。
■ポル・ポト時代からの傷跡
カンボジア人は、南国の人に多い、時間に大らかなところがあり、日本人に似て、怒っていてもつい笑顔で本音をごまかしてしまうところがあります。一緒に働くには難しい一面もありますが、その反面、臨機応変、柔軟な対応は秀逸で、とても頼りになります。

カンボジア、キリング・フィールド(ポル・ポト政権下で虐殺が行われた刑場)にて。多数の犠牲者たちが残した衣服が今も保存されている
そんなカンボジア人と接する時に、心の底で常に覚えておくべきことがあります。「トラウマ」からくる対人関係の難しさです。怒りのコントロールや、関係修復の方法などに、トラウマ特有の難しさを抱えた人々がいます。カンボジア人は精神疾患を抱えている人が多く、アルコール・薬物・DV問題が多くあります。世代連鎖をしていることも感じます。
それは「ポル ・ポト時代のトラウマ」です。1975年4月から1979年1月の3年9か月の出来事です。当時、全世界はカンボジア国内の悲惨な状況を知らず、なんとポル・ポトをカンボジアの代表として受け入れたこともあります。
ポル・ポト時代前から国内は金と権力にまみれていました。人々は失望し、その中でクリスチャンの落ち着いた愛と希望に満ちた生活を見、多くの人が信仰を持ちました。いわゆるリバイバルが起きていたのです。
ポル・ポト時代、極端な共産政権が始まり、彼らは前政権において少数の人が国の富と権力を握って国が悪くなったと考えました。そこで、国民が全員農民になること、私有財産の没収、教育・医療の否定、宗教・自由恋愛の否定、知識層の粛清(医師、教師、 僧、クリスチャン等)が行われます。当時、1万人以上いたクリスチャンで生き残ったのは200人と言われています。悪の根を根絶やしにするというポル・ポト派の方針は、知識層の家族、知人にまで及びます。ほとんどが密告で殺され、なぜあの人が殺されたのかという理由が分からず「メガネをかけていたから?」「あの集会で笑ったから?」「誰がスパイ?」など憶測が広まり、集会では誰も話さず不気味な静寂に包まれていたそうです。当時、子供と大人は分けられて暮らしていました。子供を洗脳し、時々親元に返しスパイもさせていたそうです。
まったく身に覚えのない人も拷問にかけられ、誰かの名前を言うまで拷問が続くため、苦し紛れに知人の名前を言い、再び身に覚えのない人が突然捉えられるという連鎖に陥っていきます。人々は疑心暗鬼になり、人を信頼できなくなっていきます。
私は、親や子供が殺されて辛い思いをしたという人の手記を数多く読みました。その内容は想像を絶する悲惨なものでした。
自国民が自国民を殺し、人口の4分の1、数百万人もの人が直接的に、また間違った政策の為の飢え等で間接的に、殺されたと言われています。
ポル・ポト時代後にすぐに平和がやってきたわけではなく、内戦状態が10年以上続きます。ポル・ポト軍から人々を解放したのはベトナム軍です。当時ベトナムと敵対関係にあった国々は事実を直ぐには受け入れず、その事が安全かつ安定した衣食住や教育を得るための援助の遅れにつながります。現在の人口のほとんどが、ポル ・ポト時代前後約20年以上の不安定な時代の犠牲者です。
■加害者の苦しみ
しかし、カンボジアにはさらにドス黒い闇のトラウマの存在があることに気づかされました。それは「殺した側」のカンボジア人の中にあるトラウマです。彼らのほとんどは、憎しみから殺したのではなく、「命令され、殺さなかったら殺されるから、仕方なく殺した」人達です。あまりにもたくさんの人を、虫を殺す様に毎日殺し、感覚が麻痺していく…。
殺された側の人は、苦しかったことを話すことでトラウマを整理していくことができますが、殺した人は、その苦しみを話すことはとても難しいです。私は一人だけ、お話を伺ったことがあります。当時、その方は子供で、病院で働かされていて(医師はほとんど殺されたので、当時は少年兵が病院を管理していた)、よく知りもしない薬を調合していたそうで、申し訳ないことをしたと後悔しておられました。
■その人がキリストの愛を知るように
では、カンボジアでクリスチャンは何をすべきか…。相手のトラウマをこじ開けて聞き出すことはできません。私にとっては神戸の震災で学んだトラウマの対処法が役に立ちました。「相手との信頼関係を築き、相手が話し出すまで待つ。相手が話したすべてを真摯に受け止め、批判せず、共感する、けれど巻き込まれない」です。
しかし、その人を真に救うことができるのは「キリストの愛を知ることだけ」であると実感しています。小手先の心理療法は、その人の心の奥底の問題を完全に取り扱うことはできません。援助者にとっても同様です。
みなさんがカンボジア人のことを祈ってくださる時に、お茶目で頼り甲斐のある、笑顔の素敵な人々を思いながら、しかし、その多くが、「心の底に闇と痛みを抱えている」ということを覚えてくださると幸いです。
「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」ヨハネ1章5節
【祈りのリクエスト】
■カンボジアの人々の心の闇に福音の光が届き、闇から解放されるように。
■一人でも多くの方が、この祈りの戦いに参戦してくださるように。