あらためて考えよう。なぜ世界宣教か? ー総主事 佐味湖幸ー

■メコン川流域の少数民族
いつもこの宣教ニュースを読んでくださっている方は、世界宣教に関心をもっておられることでしょう。しかし、あらためて宣教って?伝道と宣教の違いは?聖書は宣教について何と言っているの?宣教って具体的に何をすること?日本で宣教の働きが進んでいないのに、なぜ外国での宣教に関わらないといけないの?などの疑問がある方もいらっしゃると思います。ご一緒に考えてみましょう。

宣教についての理解を深めるための推薦本(いずれも、いのちのことば社出版) 「世界宣教の展望」と「ケープタウン決意表明」は現在在庫切れ

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■宣教ってなに?
「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」ヨハネ20・21
伝道とは、イエス・キリストによる救いの福音を告げ知らせ、人を救いに導く働きと言えるでしょう。それに対して、宣教とは本来「遣わされる」という意味を持っています。父なる神が御子イエスを遣わし、父と御子が聖霊なる神を遣わされました。そして、この三位一体の神はイエスを信じる者の群れである教会をこの世に遣わされ、聖霊なる神の力と導きによって宣教の働きを進められます。ですから、宣教とは本質的に神ご自身の働きであり、 教会はその神の働きにともに与るようにと、神によって召され、世に遣わされているのです。

■何のために遣わされるの?
「その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。彼らは大声で叫んだ。「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。」黙示録7・9、10
「天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。」エペソ1・10

神はなぜ教会を世に派遣されるのでしょうか?それは、神のご目的を成し遂げるためです。では、神の究極的な目的とは何でしょうか?それは御子の贖いによって、すべての国民、部族、民族、言語からなる神の民が集められ、神を礼拝すること(黙示録7・9)。そして、すべての被造物がキリストの贖いにより新しくされ、和解し、王なるキリストの支配のもとに一つとされ、神をほめたたえることです(エペソ1・10、ピリピ2・10、11など)。

やがて来る新天新地において神のご目的は達成されます。しかし、その時まで神は教会を用いて、この世界における神の国の支配を拡げられます。その活動が宣教の働きであり、教会の使命と言えるでしょう。

■宣教って具体的に何をすること?
20世紀半ば頃まで福音派の教会は宣教とは伝道すること、つまり言葉によって福音を知らせて、人々を罪の悔い改めとイエス・キリストを信じる信仰によって救いに導くことと理解してきました。しかし、1974年の第1回ローザンヌ世界宣教会議において伝道と社会的責任は車の両輪のようにパートナーとして取り組むべきものと確認されました。その後、そのような宣教は全人的(または包括的)宣教と呼ばれるようになり、伝道の働きとともに貧困や飢餓、搾取、発展、正義と平和など様々な社会的課題に対し、神の義と公正、愛と真理を現すことが宣教の働きであると認識されました。多くの宣教団体が伝道活動とともに社会的な活動にも積極的に取り組むようになった所以です。

2010年に開催されたケープタウンでの第3回ローザンヌ世界宣教会議では、全人的(包括的)宣教の理解がさらに深められ、統合的宣教という言葉が使われるようになりました。ケープタウン決意表明には、総合的宣教とは、福音を告知し、実践において示すことであり、伝道、社会的責任、また被造物の保護において神の国の価値と力をこの世界に示すことが宣教であり、教会はそのために召されていると宣言されています。

今日の宣教のあり方は多岐にわたります。比較的新しいものでは、マーケットプレイスとクリエーションケアというものがあります。今まで、この世の営みに属する(?)と思われてきたビジネスの世界で、神の国の価値観でビジネスを行い、社会人として仕事場で福音を証しする宣教をマーケットプレイスと呼びます。また、クリエーションケアとは、私たちが神の被造物を正しく管理し、環境保護の取り組みを積極的にすることによって、神の宣教を進めていくあり方です。

■教会は何をすべきですか?
このように神の宣教の働きは、全世界の人々のなかで進められ、全被造物(全宇宙!)に及びます。神様は全世界を見ておられ、その失われ、損なわれ、壊れた状態を悲しみ、憐れみ、愛しておられます。私たちの役割は、神の心を私たちの心として、全被造物がキリストによって贖われ、喜びと調和の中に回復されるために神に用いていただくことではないでしょうか。

教会はこの全世界規模の宣教のために、召し出され遣わされた神の民です。ですから、自分の教会や自分の国のことだけに目を向けるのでなく、神が見ておられる世界を見、神とともに働くワールド・クリスチャンとなるべきです。神はある人を名指しで呼ばれ、特定の働きのために遣わされます。しかし、彼らだけが宣教師ではありません。神の民はすべて何らかの形で神の宣教に携わるものとして召され、遣わされているので「私の果たすべき役割は何でしょうか」と神様に祈りませんか?

「教会の民は、どのようにして人々を教会に来させるかを考える。御国の民は、教会をどのようにして世界に届かせるかを考える。教会の民は、世界が教会を変えるのではないかと心配する。御国の民は、教会が世界を変えるのを見るために働く。」(ハワード・スナイダー「Liberating the Church」1983*)

*ロン・サイダーの論文「御国の福音」の中のハワード・スナイダーの引用(p.234「世界宣教の展望」1999いのちのことば社)

【祈りのリクエスト】
■日本の教会が宣教の神の御心をしっかりと受けとめて、世界大の神の宣教のために喜んで仕えていけるように。
■日本から異文化宣教の宣教師、またクリエーションケアのワーカー、マーケットプレイスのワーカーとして召しを受け、遣わされる人がさらに起こされるように。

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