宣教のために共に祈る ー板橋宣教祈祷会 久米姉インタビュー― 菅家容子

■板橋祈祷会が始まるきっかけは?

容子:1996年7月OMF日本委員会30周年宣教セミナーで、講師のグリフィス夫人がされた講演、「宣教史の中の女性」が祈祷会を始めるきっかけになったとお聞きしました。アメリカの婦人たちが家でお茶会をし、宣教師のために祈った、と聞いた時「宣教師にはなれないけれど、宣教師のために祈ることはできる」と思ったと。
久米:講演を聞いた時はそうなんだ、というぐらいで、実はその後忘れていたんです。それが、その数か月後、板橋に家が与えられ、落ち着いた頃和室から外を眺めていた時、突然バレリーさんの「婦人たちが集まって祈った」という言葉がパッと私の心に入ってきたのです。本当に不思議に、でした。すぐ牧野伊豆先生(当時の総主事夫人)にお電話でそのことお伝えしたら、牧野先生ご夫妻は1年ほど前から、家庭を開放して宣教祈祷会を始める方が与えられるよう祈っておられたというではありませんか。もちろん私はそんなこと全然知りませんでした。それで何の躊躇もなく、その年の11月ごろから祈祷会を始めました。宣伝はしていないのに、不思議なように一人、また一人と参加される方が与えられました。

コロナ前、久米さん宅にて。祈祷会後の豊かなお茶の時間

コロナ前、久米さん宅にて。祈祷会後の豊かなお茶の時間

■祈祷会を長く続けてきた秘訣は?

容子:いつのまにか25年も続けてこられました。こんなに長く続けられてきた秘訣は何だと思いますか?
久米:不思議なほど自分が始めたという思いがないんです。神様がしなさい、と示された集会ですから、肩に力が入っていない、それが続けてこられた秘訣ではないかと思います。聖霊様のお働きとでもいいましょうか。神様がしなさい、と必要な条件すべて整えてくださったように思います。
容子:ご主人様はまだクリスチャンではないのに、最初から全面的に協力してくださってこられたことは、とても大きなことではないでしょうか?
久米:そうですね。板橋祈祷会が始まる20年前、夫の転勤で4年間過ごしたタイの日本語キリスト者集会で森本先生や牧野先生と出会い、私に信仰が与えられたこと、宣教師の先生方が身近だったこと、夫も先生方に好意と信頼を寄せていたこと、考えてみると神様はずっと前から布石を打っていてくださったのですね。夫は仕事を引退した後は祈祷会前のお掃除まで手伝ってくれて、本当に夫の協力あってのことです。

■祈祷会の恵みとは?

容子:宣教師の皆さんにオアシスのよう、と評される板橋祈祷会ですが、その恵みはどんなところにあると思いますか。
久米:私たちの祈祷会は皆さん、それぞれ違う教会、教団から一つの目的のため主が集めてくださった方々。この教派・教団を超えて、というのが祈祷会を豊かにしてくれていると思うのです。OMFもインターナショナルで超教派の宣教団体。いろんな人が、いろんな所からいらっしゃる。人間的なつながりでないので、無理がなく、広がりがありますよね。
容子:久米さんは毎月宣教師の方々に、先月のあのこと、どうなりましたか?今月も祈祷課題をお寄せください、とメールをし、宣教師の皆さんから送られてくる返信を祈祷会メンバーに転送してくださっています。私は、それが板橋祈祷会の血液循環だと感じています。宣教師のフレッシュな近況、祈りの課題がすぐに皆さんに届き、祈りの輪がつながっていくようです。まさに血の通ったやり取りですが、これは誰にでもできることではありません。
久米:先生方の大変なこと、なかなか解決できないことを祈らされて、神様によって解決されていくそのプロセスを一緒に歩ませていただくようで、自分自身の神様との関係が成長するように思います。100パーセント良いようになるわけではないけれど、悩みも喜びも共にその一端を負わせていただく。神様から豊かなものをいただいていること、体験的に実感しています。
容子:宣教祈祷会はとりなしの祈りの場であると同時に、まさに弟子訓練の場でもあるのですね。
久米:そうなんです。宣教師の先生方のために祈っているだけでなく、私たちも神様から取り扱われ、豊かにされ…、考えたら沢山恵みをいただいています。

■コロナ禍での祈祷会、そして将来は?

最近の祈祷会はズームでどこからでも!

最近の祈祷会はズームでどこからでも!

容子:祈りの後のお茶の時間は本当に楽しいひと時でした。コロナはどんな変化をもたらしましたか。
久米:オンラインになり、どこにいようが参加できる恵みもありますね。形やメンバーは変わっても、続けよ、と主が言われる限り続けたいです。始めてくださったのも主、終わりにしてくださるのも主です。

なかなか家を開放するのは難しいのは分かります。でも、こういう形でする恵み、やってみないと分からないと思います。家が狭いとか、片付いていないとか、自分でマイナスの理屈をつけないで、主が促しておられるなら思い切ってされたら祝福があると思います。今の時代、人々が求めているのは、顔と顔を合わせて心開いて語り合える場ではないでしょうか。そして世代を超えて、若い人にも加わっていただける祈祷会になって欲しいと思っています。
主にあって自由!ここに溢れる豊かな祝福、祈り、学び、交わり、励まし、楽しみがあります。本当に良いものいっぱいいただいていますよ!

【祈りのリクエスト】
■自宅を開放して祈祷会を始める方々が各地に起こされますように。
■宣教祈祷会に参加される方々がさらに起こされますように。(祈祷会の情報はこちら

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