M国ツアーに参加して -参加者の証 その2-

賛美するM国の子供たち

賛美するM国の子供たち

―YY姉―
マタイ十四章二八、二九節の、湖の上を歩いて来られたイエス様に、ペテロが水の上を歩いて来るように命じて下さいと願いました。来なさいと言われたイエス様の言葉に、私にM国へ行っておいでと言って下さった、イエス様のお心を感じました。私は普通に考えたらこのようなツアーに参加するには、年を取り過ぎていると思われるでしょうから、それでも主が押し出して下さったことがとても嬉しく思いました。そしてツアー中、若い参加者の皆さんが、私を仲間として受け入れて交わって下さったこともとても感謝で、神様が出会わせて下さった若者たちだと心から思いました。そして私にとって初めてのアジアの旅は期待したとおり、いや期待以上の祝福と感動の旅となりました。

プログラムの初めにオリエンテーリングを計画して下さり、異国の地で自力で尋ねたり探したり、コーヒーを注文したり、ロンジーを買ったりする中で、自然に地元の人々の中に入って接近させていただく機会になりました。

日本とはずいぶん違う環境の中、びっくりすることもありましたが、滞在中自分自身の変化にびっくりしたことがあります。一週間の滞在で、M国の食事をなんとか食べていたのが、とてもおいしいと感じるようになり、またM国のロンジーや小物のデザインをただきれいと感じるくらいから、心から愛着を感じるようになったのです。ロンジーや小物を最終日になって一生懸命に買っている自分に、あれれ、どうしたのだろうと思うほどでした。そして滞在中、日本にいる時より体調が良く感じるほどで、主の備えを感じました。

感動したことの一つは、M国で労しておられる先生方が、実際は日本とは状況がずいぶん違う地で、体力的にも精神的にも大変なことが多いはずなのに、とても輝いていた事です。私はピリピ二章六、七節「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました」が好きな御言葉の一つですが、M国の人々と同じようになって仕えておられた先生方のうちに、それに通じる姿を見ることができ、私も燃やされる思いがしました。

そしてさらに感動したのは、四つの孤児院訪問でした。とても貧しいのに、こんな貧しさの中で、子どもたちが賛美してくれる声量と言ったら!パワフルで輝き、すてきな声なのです。どこかの会場にショーを見に行ったかのような感覚になりました。またみんなで一斉に祈る時には、小さな子どもたちが大きな声でとても真剣に祈っていました。神様はこのような幼子たちの純粋で熱心な祈りを聞いて、養って下さっているのだなぁ、確かにイエス様に愛されていることをしっかり受け止めている子どもたちだと感じました。

M国に心を結びつけて下さった主に感謝します。再びM国に行ける事も願いつつ、さらに祈っていこうと思います。

―YK姉―
私は大学生のころから世界の食糧事情や貧困問題に興味を持ち、将来は発展途上国の生活環境を向上させたいという夢をもっていました。友人の紹介でKGKを知り、イエス・キリストの存在を意識するようになっていましたが、神が愛であるならなぜ、世界にはこんなにも貧困や災害や病気、そして紛争が絶えないのだろうという疑問が消えず、信じることができずにいました。

私が洗礼を受けたのは、十年前の十二月でした。当時私は就職して二年目の病院で働く看護師でした。通っていた永福南キリスト教会で聖書の学びをし、以前から感じていた疑問や神様が世界をどのように創られたかなどを学ぶうちに、私自身の何気ない行動、たとえばたくさんのものを消費することが、世界の悪循環を生み出しているかもしれないと思い始めました。そして、そのことに気が付かず問題の原因を創造者である神様に転嫁していたことに気が付きました。

それと同じころ、入院患者さんの療養の世話をするという臨床の仕事の中で、病や命の長さというものが人間の力ではどうしようもないことがある、という現実を目の当たりにし、神様の存在を意識しはじめたことも受洗のきっかけとなりました。

今回、宣教師として医師としての働きを知りました。日本とは全く異なる環境で、国の政策や医療保健に関する状況も整備されているとは言えない状況の中、働きを続けることの大切さと困難さの両面を見ることができました。ずっと日本の制度の中で、医療機関から医療を提供するということしかしてこなかった私には、この国で人々の健康を守る方法が、正直わからないと感じています。今私は福島県相馬市で被災者の心のケアにあたる仕事をしています。日本でもM国でも、人々の心と身体がその人らしく健やかであること、そのために私に何ができるのか、神様は私に何を望んでおられるのか、その明確な答えは出ませんでした。しかし、どこにいてもどのような状況にあっても、信仰をもって祈っていきたいと思いました。

洗礼を受けて十年、いつの間にか聖書を開くのは教会に行った日曜日だけになり、それ以外は祈ることを忘れて、自分が正しいと思うことを基準にしてきたように思います。M国で感じた自分自身の無力さは、そのぶん神様に依り頼み祈ることでしか埋められないのかなと思います。神様を信じて強く生きるM国の子供たちとその子らを支える大人たちのように、私ももっと神様を信じたいと思った旅でした。

今回のツアーは、ただただ主が行ってきなさい、と言って導いて下さったツアーでした。この何年かは私の環境と状況がどんどん思いを越えて変わっていった年々で、それもあって海外宣教を考えるような年ではないはずなのに、海外のことを考えるようになり、今回のM国ツアーにちょうど良いタイミングで目を留めさせて下さいました。仕事も子育ても一段落してきた時期で、ツアーの期間に予定もなく、主人も理解してくれて、これこそ主が備えて下さった機会だと思いました。

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