祈りの旅に参加して 佐藤 聖香

佐藤2私は、浪人生のときに「海外宣教」という思いが与えられ、そのために今の大学、学部に導かれました。しかし、本当にすっかりとその思いを忘れ、今回の祈りの旅の最中にようやく思い出したほどに、忙しさを言い訳にして、神様から離れた生活を送っていました。神に 導かれたことを忘れ去り、今の学部に不満を抱くようになった私は、本気で再受験を考えたりしていました。そんな愚かな私に、神様は「海外宣教」という思いを思い出させてくださいました。そして、何気なくOMFのホームページを覗いた私の目に留まったのが、「祈りの旅の参加者募集」の掲示でした。「祈りの旅」に参加し、自分の将来をじっくり考えたい、神様から離れないで生きていけるように霊的に成長したいとの思いが与えられ、祈りつつ、両親にも相談しつつ、締め切り間際で駄目かもしれないと思いながらも、参加申し込みをしました。ぎりぎりでの申し込みでも参加がゆるされ、ご迷惑をおかけしましたが、本当に感謝しています。準備を進める中で、宣教の自由のない国に行く際の注意を知らされ、愚かにも勝手に不安になり、参加を決めたことを後悔したことを、今でも鮮明に覚えています。

祈りながら街のなかを歩くプレーヤーウォークでは、本当にたくさんの偶像を目にし、現地の人々が、政府や周囲の人々からの迫害を恐れてキリスト教を避けている姿を目にし、心が痛みました。しかし、このような国にも神様は働き人の方々を遣わしてくださり、現地のクリスチャンの間にしっかりとした信仰を与えてくださっているのだということも気付かされ、神様が働いてくださるという希望に満たされながら、お祈りして歩くことができました。祈る側の自分にも、主にある平安が与えられていたように感じます。

祈りの旅に参加して、多くの働き人の方々に実際にお会いしてお話を伺ったり、毎朝のデボーションのときや、毎晩の振り返りのときや、長い移動時間のときに他の参加者の方と分かち合ったりする中で、一番問われたのは、「自分は、今まで本当に神様を愛し、主に信頼し、主にすべてをおゆだねしきって従っていたのか」ということでした。「神様を愛します」と言いながら、神よりも自分を愛し、周りの人々の視線を気にする自分。「主に信頼します」と言いながら、自分の力でどうにかしようとして不安や後悔の絶えない自分。「主にすべてをおゆだねします」と言いながら、自分の願いも望みもしっかりと握っている自分。「神様に従います」と言いながら、義務感から、自分の力で従おうとして失敗する自分。次々に示されたのは、どうしようもない弱い自分の姿でした。また、日常から離れて神様を思い続ける中で、神様の視線を意識し続けることに疲れを感じてしまったことで、いかに普段の生活において神様の視線ではなく、周りの人々の視線ばかりを気にしていたのか、ということも教えられました。

佐藤働き人の方々は、神様を信頼しきっており、神様を本当に愛し、全てを神様におゆだねしていました。神が望んでおられないならば、道を閉ざしてくださると信頼しきって一歩を踏み出していました。聖霊によって祈り、祈られ、神様が働いてくださるのでなければ、誰一人として神様の御業に参与することができないことも知っていて、「祈り続けてください」とおっしゃっていました。どうしようもない私ですが、神様に喜んで従っている働き人の方々の姿を見て、「私も、嫌々ながらでも義務感からでもなく、自ら喜んで神様に従いたい」、「まだ福音を知らない人々に、神様の福音を伝えたい」と心底願うようになり、自分では神様に従いぬくことができないと教えられたので、神様に祈るようになりました。

「神様の福音を多くの人々に伝えたい」との思いが強くされる中、私には、大学を卒業し、職業技術を身につけるまでの最低15年間(学びと研修期)が、長くもどかしく感じられるようになりました。そのような中で、「自分を遣わしてください」と8年間も祈りつつも、神様の時を待ち続け、その間に母国の教会開拓に携わっていた働き人の方のお話をお聞きすることができました。自分も、最低15年と言う長い時間の中で、「自分を遣わしてください」と祈り続けながらも、与えられた状況の中で、まだ神様を知らない周りの人々へ福音を伝えていくこと、今回訪れた国やまだ福音の伝わっていない地域のために祈り続けること、働き人の方々のために祈り続けることができるのだと教えられました。神様が備えてくださったときに、備えてくださった場所で、神様に用いていただけるように、神様に取り扱われていきたいです。

今回、祈りの旅に参加できて本当に多くのことを教えられました。私たちの旅のために特に準備をしてリードしてくださった働き人の方と西村信恵主事、私たちに証をしてくださり、生き方を通して多くのことを教えてくださった働き人の方々、英語のできない私にたくさん通訳してくださった信恵さんと佳奈さん、一緒に旅に参加できた陽ちゃん、この旅のために祈ってくださった教会の方々や家族をはじめとする全ての方々、この旅に送り出してくださった教会の方々、そして何よりもこの旅に導いてくださり、守ってくださり、ともにいて励まし支えてくださった神様に、本当に感謝しています。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

ガラテヤ書2章20節

自分にはできないけれど、キリストにはできるという深い恵みに感謝します。

神様の愛とあわれみによる本当の救いが、全世界の人々に与えられますように。

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