フィリピン短期宣教プログラムに参加して 廣田 真佳

短期宣教プログラム 2009年8月24日―9月5日(廣田)、12日(坂西)
今回の短期宣教プログラムは南フィリピンのOMF都市貧民宣教チームに廣田さんと坂西君が参加しました(引率、佐味主事)。
「川の流れ」という名前のコミュニティーでは、その地域の部族の言葉を習い、廣田さんは得意の美術を坂西君はギターや遊びを通して、地域の子供たちと良い交わりが与えられました。また、その他にも、ホームレスの家族、夜の商売をしている人々、回教徒の貧しいコミュニティーの幼稚園などで、「行って、友になる」ミニストリーに参加し、様々なことを教えられました。

20091022a主の御名を賛美致します。
たった2週間という短い期間でしたが、不思議と主に導かれ、私はフィリピンに行くことができました。日程やお金、語学力、そして進路等、行く前に様々な問題がありました。しかし、それでも!という気持ちを持って一歩前に進もうとした時、主は私を助けて下さり、行けるように取りはからって下さいました。

フィリピンでの体験は初めての事ばかりで驚き惑う事も多々ありましたが、全ての事、一つ一つが私にとっては新鮮でまた面白く楽しいと感じまた学ばされることばかりでした。

フィリピンで私はMUPTという都市の貧困層等のフィリピンで低く見られている人たちのために働いているチームに加わって一緒に働きをしました。私がした事といったら、子ども達と一緒に遊んだ。この一言につきます。しかし、MUPTは、そういった一緒に過ごす・関係を築くということを通して神様の愛を伝えていました。そのようなMUPTに加わってフィリピンで過ごす日々は楽しく目まぐるしく過ぎていき、何かに対して特に思い悩むといったことはあまりありませんでした。

しかし、その中でひとつ思い悩んだことがありました。正確には一番頭を使って考えたことです。そしてその時のことがとても強く記憶に残っています。それは・・・フィリピンを去る前にチームで反省会をもった時のことです。反省会では自分が神様から語られたことや異文化についてMUPTについて自分が考えたことや感じたことを話します。その時に私はある質問をしました。あるマイノリティーの人たちに対しての質問です。「実際に彼らにどう接するかではなく、聖書には彼らはハッキリと罪人だということが書かれているけれどその事についてどう考えていますか?」というような質問です。(自分でもどんな言い方をしたか正確には覚えていないのですが・・・)それに対してある一人の宣教師がこんな風に答えくれました。「イエス様がそういう人たちの元へ行って食事したり、共にすごしたりした。だから私たちもそうするんだ。」この言葉にその時私はすごくはっとさせられました。でも、その時は何故この言葉にはっとさせられたのかよくわかりませんでした。

20091022bフィリピンから帰ってきてこの事を考えていた時に気がつかされたことがあります。どこか自分は上から?の目線でいた、ということです。自分はクリスチャンとして愛を伝える者・愛する者としていったからMUPTが関わっている人たちのことを理解しているつもりでした、私は彼らを受け入れているつもりでした、短期でしたが、そういった心づもりで行ったからです。先ほど、聖書にはハッキリ罪人だと書いてある、ということを私はいいました。でも、聖書にはハッキリと、私も罪人であると書いてあります。誰かのほうがもっと罪人だなんてことは聖書には書いてありません。私はただ、先に信じる者となったということだけです。そんな簡単なことを私は心で理解していませんでした。

イエス様は上ではなく同じところに下がってきて下さいました。私はそれをしていなかったと思います。しかもそうであることに気がついていませんでした。寄り添っているという気分になってただけなのではないかと思います。それは本当に寄り添っているというのでしょうか。

その事に気がついた時に祈りました。「神様、どうか私を低い者としてください。私の高いプライドを打ち壊し、本当に同じ目線に立つ事を教えて下さい。」神様の愛で愛するということはそういうことなのではないでしょうか。

比べている自分がいました。比較して差別している自分がいました。どこかで見下しているような自分がいました。彼らは罪人だ、まだ罪の中にいる人々だ、と。彼らが罪人だというその事は事実です。けれど、その事と見下すことは違います。本当に寄り添って同じところに降りていく、イエス様がそういう人たちの元へ行って食事したり、共にすごしたりした。だから私たちもそうする。私もそうすることをする者になりたいです。

イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人と一緒に食事をするのですか。」イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。『わたしはあわれみを好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためにではなく、罪人を招くために来たのです。」〈マタイ9:10-13〉

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